退職後の暮らしを見据えて移住先を選ぶとき、「山」か「海」かあるいは「都会」かで迷う方が多いのではないでしょうか。かってオランダ永住も考えていた私たち夫婦が、日本への本帰国を決意し、東伊豆の妻の両親が遺した家を「終の棲家」に選ぶまでの軌跡をお話しします。八ヶ岳や房総半島を巡った末にたどり着いた、山と海が織りなす理想の自然環境と、この家に隠された大切な物語とは?
「終の棲家」探し。「山」か「海」か?
実は、本帰国するまでの数年間、仕事の関係でオランダと日本を半年ずつ行き来する生活を送っていました。日本に滞在す る秋から春までの期間は、妻の父が亡くなった後空き家となっていた現在のこの家を使わせてもらっていました。当時はまだ オランダに永住するか、日本に帰国するかを最終的に決めていませんでした。そのため、「終の棲家」探しはそれほど緊急な課題ではありませんでした。
「終の棲家」について、妻も私も「都会ではなく自然豊かな田舎に住みたい」という事だけは決めていました。「都会は、仕事 をするところで、住むところではない」という共通の価値観があったからです。また、長年暮らしたオランダでの牧歌的な生活が、心に深く残っていたことも影響しています。
オランダでは、アパートから10分も歩けば、緑豊かなポルダー(干拓地)に牛や羊の群れが放牧されていました。水路には、白 鳥やカモ、オオバンが泳ぎ、まるで絵本から飛び出したような風景が日常に溶け込んでいたのです。あの穏やかな生活は、私たち にとって捨てがたいものでした。もちろん、日本でまったく同じ環境を実現するのは不可能なことは、百も承知しています。それでも、都会を離れた自然の中で、家庭菜園を楽しみながら穏やかな余生を過ごしたいと願うようになりました。


山も海もなかなかむつかしい現実
最初は、「山」の美しさに惹かれ、八ヶ岳や蓼科(たてしな)エリアを見て周りました。目の前に広がる八ヶ岳連峰の景色は非常に 魅力的でした。しかし、冬の気温がマイナス10度まで下がり、年間積雪量が2メートルを超えるという「厳しい冬の現実」を知りあきらめざるを得ませんでした。次に目を向けたのが「海」です。温暖な気候と海へのアクセスの良さが揃った房総半島で探してみたものの、私たちの条件に合う物件にはなかなか巡り合えませんでした。
理想の土地が見つからず、半分あきらめかけていた時です。ふと、自分たちが毎年半年間を過ごしている「この場所」を見逃していることに気がつきました。まさに、「燈台下暗し」とはこのことでした。
ここに決めた背景。山と海がそろった理想の自然環境
東伊豆での二重生活を続けていくうちに、私たちが本当に求めていた場所は、最初からここだったのだと確信しました。 窓を開ければ雄大な海と伊豆七島が広がり、毎日午前と午後にはタンカーや客船、運搬船が行きかいます。後ろを振り返れば故郷を思いださせる天城連峰がそびえ立っています。さらに、近くの雑木林を購入して自分たちの手で開墾した畑は、念願だった家庭菜園も思いきり楽しめます。ここはまさに、海と山が美しく織りなす「理想の環境」そのものでした。
この家は、昭和40年代に妻の両親が建てた少し古い建物です。しかし、両親が長年大切に過ごしてきた歴史を引き継ぎ、ここで暮らせるということ自体、深い感慨があります。「この家を終の棲家にできる」そう思えたことが、一時は永住すら考えたオランダから、日本への本帰国に踏み切る大きな決定打となりました。


次は、日々の生活と、この別荘地で共に暮らす「野生動物たち」や「気候変動による生態系の乱れ」についてお話しします。
「一日を一生と思って生きよ」酒井雄哉大阿闍梨

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