昨年から本格的に始めたはずの書籍、写真、手紙、仕事関係の資料などの整理が、思うように進んでいない。その理由の一つは、整理を始めると決まって写真を見返したり、手紙を読み耽(ふけ)ったりしてしまうからだ。今日は久しぶりに、80歳まで続けた年賀状の整理と、私が死亡した時の通知のための「連絡先リスト」の作成をした。70歳を過ぎたころから毎年「喪中の挨拶状」が増えてはいたが、住所録をチェックしていくと、すでに亡くなられた複数の方がまだリストに残っており、それを見て今一度その方々との思い出に浸った。以前は、友人や知人のお身内の方のご不幸の知らせだったのが、最近では友人や知人の「旅立ち」が増えてきた。
写真の整理をしていて、大学時代からの仲間の若い頃の写真を見つけた。学生時代からの仲間は8人。そこに結婚してからの奥さんたちを加えて、総勢14名。家族ぐるみの付き合いだ。手に取った写真は、仲間7人と6人の子供たち一緒の小旅行の写真だ。この時の写真からすでに6人が「先に旅立った」。14人いた仲間が、今では8人になってしまった。青春を共に過ごした信頼のおける仲間であり、家族のような存在だから、ひときわ寂しさがこたえる。
また、かって海外で同志として一緒に苦楽を共にした先輩や同僚、仕事だけでなく人生についていろいろ教えてくれた上司と一緒に撮った写真を見ると、すでに多くが「他界」されている。あの頃の苦労や楽しかったことを肴に、お酒を酌み交わす友人がすっかり少なくなってしまった。今年初めにブラジル時代の友人の一人が突然亡くなった知らせを受けた。自分の過去の記憶が、一つづつ古文書のように倉庫の棚に保管されていくような寂しさを感じる。
家族に目を向けても、両親と二人の兄は亡くなっており、今残っているのは次兄と私の二人だけだ。今まで賑やかだった人生という舞台の登場人物が、いつのまにか、一人二人と舞台の袖へと退いてしまった。演劇と違い、一度舞台から姿を消すと二度と登場しない。新しく登場してくる人は、ほとんど知らない若い人たち。私も近いうちに舞台から退場することになる。しかし、演劇と違い脚本がないから、それがいつになるのかはわからない。気に病んでも仕方がない。
もう十年前になるが、仲間の中でも特に親しかった友人が、癌で余命わずかという病床で書いた2016年の年賀状が届いた。その余白には、「ゆっくり来いよ!!」「アワテルナ」というメッセージを書き残していた。彼は、その3か月後に静かに「旅だった」72歳だった。今頃は天国で、先に亡くなった大学時代からの仲間の一人だった奥さんと、我々仲間のことについて話をしていることだろう。
今も、彼からの年賀状を大切に保管している。時々、彼の残したメッセージを心の中でつぶやき、「わかった!!生かされるだけ生きるよ」と心の中で返事をしている。私の妻は、この大学時代からの仲間の一人だ。これからも二人で、友人が残してくれた「ゆっくり来いよ!! アワテルナ」を繰り返しながら、残された毎日を大切に生きたいと思う。「一日一生」
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。みなさんにとっての「一日一生」、そして大切にしている言葉も、いつか機会があればぜひ教えてください。今日というかけがえのない一日が、みなさんにとっても穏やかで素敵な日となりますように。



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