世界に育てられた45年~「忘れがたい人」との出会いと学び~Vol.9     海外事業のレジェンド 上野早苗さん

出会い・学び

はじめに

今回紹介する上野さんは、日本の大手食品会社の海外における製造工場建設と製造ライン設計のエキスパートです。香港、シンガポール、オランダ、そしてインドネシアの工場建設と製造ラインの設計を直接手掛けてこられました。上野さんが描く工場のコンセプトーーその役割と機能ーーは明確です。「工場は、単に製品を効率よく製造する場所ではなく、消費者とのコミニュケーションの接点として開かれた場所であるべきだ」という信念を持っておられます。この考え方は、従来の工場は「いかに効率よく製造するか」という考え方と一線を画すものでした。また、製造部門の責任者にとどまらず、オランダの販売会社では社長として販売と経営を経験し、トップ経営者としてのキャリアをスタートさせました。オランダでの経営の経験のあとは、インドネシア法人に招請され、それまで低迷していたインドネシア事業を短期間で販売実績を飛躍的に拡大させました。上野さんの海外勤務年数は、通算50年です。まさに海外事業の”レジェンド”です。

1.【略歴】

  • 1971年 宮崎大学農学部卒業
  •      日本の大手食品会社に入社(製造生産技術課)
  • 1973年~1979年 香港現地法人出向 (工場長)
  • 1979年~1992年 シンガポール現地法人出向(工場長・製造工場建設)
  • 1992年~1996年 オランダ現地法人出向(工場長・製造工場建設)
  • 1996年~1999年 オランダ現地販売会社出向(社長)
  • 1999年~2023年 インドネシア現地法人に招請(社長)
  •       2014年 製造工場建設

2.【これからの工場に求められる新たな役割】

オランダの工場建設では、私には是非実現させたい目標がありました。それは、工場を単に製品を効率よく生産する場所から、消費者などの工場見学を通して外部に開かれた工場にすることです。具体的な目標は、次の通りでした。

① 見学者(消費者・子ども・取引先・ジャーナリスト)に対する役割。

  • 「製造プロセス」や「徹底した品質管理」を直接確認していただくことで、商品に対する安心感と信頼感を得る。

② 企業(工場)に対する役割

  • 工場は「最大のブランディング・広報拠点」であり、組織を活性化させる役割を持ちます。具体的には、従業員には「みられているという緊張感や刺激により、モチベーションの向上が期待されます。
  • 外部の人の目が入ることで、工場内の整理整頓(5S活動)や安全管理の徹底が期待されます。
  • 見学者への製造過程や商品価値の説明を通して、案内担当や現場社員のプレゼンテーション能力・コミニュケーション能力の向上が期待できます。

私の構想について、赴任された上野さんにさっそく説明しました。工場建設のエキスパートの上野さんが、どのような意見を出すか緊張して待っていたところ「私もまったく同じことを考えていました」。そこで、上野さんがシンガポールの工場建設から温めていた構想を聞きました。オランダの新工場のコンセプトが完全に一致しました。「これで、工場建設は、上野さんに全て任せよう」と決心しました。それからの上野さんは、新しい役割を持たせた工場について、設計段階から本社から派遣された製造の各部門の責任者たち、PR部門担当者、建設会社の設計技師、政府の関係部門の役人との意見交換を精力的に進め、全員がこの理想を共有していきました。

3.【オランダの工場に求められた「新しい法令・基準と自己責任型」への対応

オランダの工場建設では、オランダとEUの法令、規格基準など過去に経験したことのない厳しい課題を克服しなければなりませんでした。上野さんは、外部のアドバイスも受けながら、一つ一つ対応していきました。こここでは詳細な説明は省きますが、上野さんが解決した主な課題は下記の通りでした。

●設備安全;HACCPの導入と社内基準をはるかに超える、CEマーキング取得。

  • CEマーキングとは、「EU域内で販売される製品が、欧州の安全、健康、環境基準(EUし指令・規則)に適合していることを示すマーク」

●労働環境:人権とウエルビーイングを最優先する欧州の「Arbowet(労働環境法)」対応。

  • オランダでは、「Albowet」という厳格な法律があり、単なるけが防止を超えた騒音、照明、人間工学に基づいた姿勢、さらにはメンタルヘルスまで規定されています。「従業員のウエルビーイングを守ることは、企業の法的義務」という考えが根底にあります。

● 役所の『お墨付き』を貰うという許認可制度ではなく、企業側の「自己責任型」制度

  • 建物構造、製造ラインの安全性は、法令や基準に照らし合わせ、自ら証明し責任は会社にあるという「自己責任型」の考え方。
  • 日本の場合は、役所のお墨付けの「許認可」さえ取れれば安心ですが、それとは真逆の制度です。

4.【見事な社員掌握術】即決ではなく時間をかけて解決する

オランダ工場の従業員の国籍は、多い時で20数か国を超えていました。それぞれの国の歴史や文化、宗教、食事制限、習慣などが異なる集団です。これらの国籍が異なる従業員を現場でまとめるのは、オランダ人のリーダーです。もちろん、リーダーだけに任しておくわけにはいきません。日本から派遣された各製造ラインの指導者が、つねにアドバイスとバックアップをします。

食品会社で一番重要なことは、いかなる理由があるにせよ、不良品を出さないことです。もし、一度でも不良品を販売するようなことがあれば,消費者の信用を失うことになり、一夜にして経営に大きな打撃を与えることになります。我々の場合は、オランダでは無名の会社で、無名の商品ですからなおさらです。事故を起こしたり、不良品を出さないためには、会社と従業員の信頼関係の構築が欠かせません。最終的は、工場長の労務管理能力に大きく関係してきます。

上野さんの通算20年にわたる香港とシンガポールで培った多国籍の従業員の労務管理技術、信頼関係構築のノウハウは、オランダで遺憾なく発揮されました。それは、上野さんの「来るものは拒まず」という多様性を正面から受け入れる強い信念によるものと思います。ここで、上野さんの労務管理の一端を示すエピソードを紹介しましょう。

工場の従業員の人数が増えてくると同時に、事務所が手狭になってきました。そこで、製造部門別に机とロッカーの配置買いが必要になった時のことです。リーダーと従業員がそれぞれ意見を出し合い議論をするのですが、なかなかみんなが合意できる結論が出ませんでした。そこで、上野さんが取った方法は、彼らにもベストではないが妥当と思われる案を示し「とにかく私の提案で配置換えをしてみましょう。そして3か月たった時点で問題があれば、再度検討しましょう」というものでした。従業員たちも最終決定ではなく暫定的な結論だということで、上野さん提案の配置換えが済みました。それから3か月後、誰も、どこの部門からも文句が出てきませんでした。ある課題で、従業員の議論が平行線をたどって結論が出ないときは、リーダーや会社が議論を打ち切って多数決で結論を出しがちですが、上野さんのやり方は、無理をして結論を出さないで、提案して一定期間やらしてみるという解決方法でした。海外事業における労務管理のノウハウのひとつとして勉強になりました。

5.【おわりに】

上野さんは、1999年にインドネシアの社長に招請されてから、約24年間、販売実績の拡大と経営の改善強化に全力を注入されました。その結果、グループ海外事業所の中でも飛びぬけた実績を示されました。まさに海外事業の「レジェンド」です。

単身赴任での長い海外勤務を終えて、日本に帰国され、久しぶりに家族水入らずの穏やかな毎日を過ごされていると伺いました。本当にご苦労様でした。これからは、好きなゴルフを存分にお楽しみください。あなたとオランダで一緒したのは、わずか6年でしたが、あの「新しい役割を持った工場と工場見学プログラム」が実現できたことは、今でも私の記憶に残っています。ヨーロッパに勤務経験があるOB・OGのLineグループも出来ました。お互いの近況を交換できますが、たまには、みんなで集まって、自慢話や苦労話を酒のつまみにして楽しみたいものですね。まずは、健康には十分気をつけてください。今後ともよろしくお願いいたします。

欧州OB会:左から田仲さん、松原さん、平野さん、上野さん、油井さん

6.【次回の予告】

次回は、クリスタ・デ・ケンプ・エーヴェルツ(Christa de Kemp-Everts)さんをご紹介いたします。ケンプさんは、1979年アムステルフェーン市でキャリアをスタートさせてから、今年9月末に蘭日貿易連盟(DUJAT)の専務理事を退任するまでの通算45年に渡り、日本企業のオランダ進出に携わってこられました。楽しみにしていてください。、

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