これからの残りわずかな人生の旅、いわゆる「終末」をどのように生きるか。これは、いまだに心の整理が出来ていない私の宿題です。妻に「死に対して覚悟が出来ていないのでは・・」と言われる始末です。私は今でも「まだ何かできるのではないか」「あれもしたい、これもしたい」といった妄想や欲望が抜けきっていないのです。
この宿題をなんとか解決したいと、「生きることや死について」書かれた様々な分野の本を読んでいます。特に「般若心経」の和訳や解説書は、何度も手に取って読んでいます。しかし、私の理解力不足もあり、どうしても心にストンと落ちてこないのです。そんなモヤモヤを抱えていた時、子供のころから興味があった「坐禅」を体験してみようと思い立ちました。そこですぐ頭に浮かんだのが、京都の妙心寺や鎌倉の円覚寺、福井の永平寺といった両本山のお寺です。坐禅体験会について調べると、どのお寺も「初心者の自由参加」が用意されています。
しかし、まったくの未経験者の私は、どうしても腰が引けてしまいました。そんな折に出会ったのが、社会人のための禅団体「人間禅」でした。「社会人のため」という響きが、私の緊張した気持ちをすっと楽にしてくれたことを覚えています。今回は、実際の座禅会への参加体験から、これから「禅」をどのように生活に組み込ませるかについて、私の視点でお伝えします。




子供心に刻まれた、則信慧光老師のお姿
私は、自分の中にある「禅にまつわる原体験」を思い出していました。それは、小学生のころ実家の菩提寺(丸亀市の寶津寺)で出会った住職のお姿です。そのご住職は、京都大学で哲学を学ばれたのち、臨済宗妙心寺派の仏門に入られたと記憶しています。本山での修行のかたわら、全国を行脚して厳しい修行を重ねられ、のちに妙心寺の老師にまで上り詰められた、まさに高僧のおひとりです。立ち居振る舞い、そしてからだ全身から発せられるオーラのような品格の高さ。法事で実家に来られた際に語ってくださる、説法や修業時代の具体的な数々のお話し。さらに感心したのは、食事をされるときの作法でした。一粒のお米も残さない。最後はお茶でお茶碗を綺麗に洗い、それを飲み干されました。
そんな徹底された禅の作法に、子供ながら深く感動したことを覚えています。すっかり心を奪われた私は、一時は「自分も仏門に入りたい」とさえ思ったほどです。それほど、老師のお姿は私の心に強烈な刺激を与えてくれました。
厳しい修行ばなしだけでない、ユーモアあふれる裏ばなし
法事やお盆などの檀家回りで実家に来られた時は、一番前で食い入るように聞いた老師の修業時代のお話は、今でも私の脳裏に鮮明に残っています。そこには、厳しいだけではない、どこかユーモアにあすれる裏話もありました。
・命がけの「禅問答」の緊迫感
公安(こうあん)を用いた臨済宗の修行は、一瞬の妥協も許されない「師と弟子」との真剣勝負。言葉の刃を交わすような緊張感に、子供ながらに息をのんだものです。また、全国を行脚して他のお寺の僧侶と闘う「禅問答の果し合い」の話は、厳しさの中にもゲームのようなワクワク感があり、聞いていてとても楽しいものでした。
・年に一度の「うどん」の試練
子供の私にとり、特に面白かったのが「年に一度ふるまわれるうどんの日」の顛末です。この日は、好きなだけお代わりをしてもいいらしく修行僧は楽しみにしているそうです。しかし、一緒に食べている老師が箸をおいて「ごちそうさま」をするまでは、次から次に出てくるうどんを食べ続けなければならないという暗黙のルールがあったそうです。せっかくの楽しみが、老師が箸をおくまでは食べ続けなければならない苦行に一変したということです。老師がその様子を見てほくそ笑む様子が目に浮かびます。厳格な禅の修行の世界の中にある、どこか人間味あふれる一幕として、今でも忘れられません。”うどん”が名物の讃岐の人間には、特に親しみやすさを感じました。
あの日の憧れを胸に、「人間禅」の座禅会を体験する
あれから長い年月が経ち、私は今、自分の「終末」をどう生きるかという問いに直面しています。本を読んでも死への覚悟が決まらず、モヤモヤしていた時。私の心に真つ先に蘇ったのが、まさに則信慧光住職の「身体全体から発せられていた品格の高さであり」、「あの活き活きとした禅のお話」でした。さすがに、今から大本山での本格的な修行に飛び込むのは、あまりにも無謀です。しかし、「あの禅の世界に少しでも触れてみたい、何かを掴みたい」という強い気持ちが、心の奥底から湧き上がってきたのです。
そんな私をやさしく受け入れてくれたのが、社会人のための禅団体「人間禅」でした。幼き日に老師のお話にワクワクした、あの童心に帰るように。私は、少しの緊張感と大きな期待を胸に、初めての座禅会へと一歩を踏み出したのです。
(つづく)

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