ここ伊豆の山中の生活は、自然任せ、お天気任せの自由な生活です。時間に管理されず、効率やコスパの追及を受けず、余計な人間関係にも縛られず生きていけます。これぞまさに自分が決める生活です。それでは、一日のはじまりからお話しします。
山と海の景色を見るところから一日がはじまります
起床時間は、夏も冬も大体5時半過ぎです。妻は、たいていクラッシック音楽を聴きながら、すでに朝食の準備に取り掛かっています。私が起きて最初にすることは、2階の居間のカーテンを開けて、正面に見える伊豆の海と伊豆七島の島々を眺めることです。天気の良し悪しに関係なくこの景色を見ないと、一日がはじまりません。


その間に、NHK朝のテレビ体操がはじまります。朝食のタイミングと重なったときは、体操ではなく食事が優先です。朝食の献立は大体決まっており、パンにブロッコリー(必須)と生野菜。家庭菜園で収穫した季節の野菜も加わります。それにソーセージかハムと目玉焼きかゆで卵。それにコーヒーです。コーヒーのブランドには特にこだわらないのですが、友人がお土産に持ってきてくれたオランダのコーヒー、”ダウン・エバーツ”(DOUWE EGBERTS)があれば、最高です。
テレビは、国内ニュースとNHKの国際ニュースを見ます。かって旅行した国とか住んだことのある国のことが気になります。食事が終わるころ、「今日のスケジュールは?」と、お互いの今日のスケジュールを確認します。ここから一日がはじまります。晴れていれば、妻は家庭菜園の作業か庭の雑草取りです。私は、畑の土を耕したり、庭仕事です。時々大工仕事もやります。雨のときは、読書と言いたいところですが、手持無沙汰で家の中をうろうろしています。また、その時の気分次第で、未整理の写真や旅のガイドブックの整理をします。しかしいつものことですが、ついつい写真に見とれたり、ガイドブックを読んだりしてなかなかはかどりません。
作業の前は、聖なる音楽(Sacred Music)で、気持ちの切り替え
朝食を終え、作業をはじめる前の30分間は、決まった「ある音」を聴きます。その「ある音」とはイスラム教の「アザーンやコーラン」、インドのラーガ「シタール」、そして「グレゴリオ聖歌」です。その日の天候や気分でどれを聴くか決めます。これらの祈りの「音」は、心を清めてくれるだけでなく、過去の旅の感動を呼び起こしてくれます。例えば、「アザーンやコーラン」は、マレーシアのカンポン(村)に滞在した時、朝夕スピーカーで村人に一日5回礼拝時間をしらせ、礼拝に行くことを呼びかけます。その時の村の風景が丸ごと一緒に浮かんできます。ある時は、トルコのイスタンブールのブルーモスクから力強い厳粛なアザーンを聴いて感動したことを思い出させます。祈りの音は、その時の光景や空気の臭い、雑踏の中を行きかう人々のエネルギーの光景も思い出させます。今、その場にいるような気分になります。さらに嬉しいことは、「もう一度行きたい」という元気が出てきます。そのようなわけで、私にとり旅先で買ってきたCDを聴くことは、昔の旅の追体験でもあります。
午後には、元気が出るサンバ、ボサノバ、ランパダ、カンツオーネ、を聴きます。夜には、マリアッチ、ファド、タンゴ、フラメンコなどを聴きます。私の生活の中の音楽については、改めてお話ししたいと思います。


ここに住んで変わったこと
ここに永住するようになってから20年。引っ越しの多かった人生の中で、ここが一番長くなりました。海外勤務の私と一緒に渡り歩いた子供たちにとり、ここが実家になるのでしょう。生活をしていく上で不便なこともありますが、今の生活に満足しています。なによりも、この自然から多くを与えられ、学んできました。その中で一番変化したことは、死に対する不安や恐怖が薄らいだことです。死に対してジタバタしない覚悟は、まだできていませんが、ここで生きている生き物たちと同じように、自分も自然のなかで生かされているということを実感しています。このテーマについても、改めてお話ししたいと思います。
次は、気候変動による自然環境の変化や生態系の変化が起きている中で、生きている動物や植物についてお話しします。
「一日を一生と思って生きよ」酒井雄哉大阿闍梨

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