座禅に光明を求めて(その2)~「人間禅」の座禅会に参加して感じた、正直なギャップ

子供のころに則信慧光老師から聴いた、あの緊迫した問答や、ダイナミックな修行の世界。どこかでそんな「非日常の緊迫感」を期待していたせいか、正直なところ、初めて参加した「人間禅」の坐禅会には、少し拍子抜けする部分がありました。主催者は現役か退職されたもと社会人。参加者もみなごく普通の社会人。警察官もいました。年齢層は、20代から60代までと幅広く、女性の姿も多くみられました。80歳以上は私だけでした。参加者は、自己紹介で坐禅会参加の目的を話されました。私を除く皆さんは、「人生をどう生きるか・・・」でしたが、私だけは「どのように死を迎えるか」と他の参加者とは正反対の目的でした。会場全体を包んでいたのは、とても穏やかな雰囲気でした。妙心寺や永平寺の禅道場に感じるような、あのピーンと張りつめた「凛とした厳しい空気」を想像していた私にとっては少し期待外れでした。

期待外れの先で見つけた、私だけの禅

もちろん、参加したことは決して無駄ではありませんでした。それどころか、非常に大きな学びがあったのです。会では、坐禅の基本的な作法や目的、心構えなどを丁寧に教えていただきました。なにより収穫だったのは、我流でない「正しい坐禅の仕方(足の組み方や呼吸法)をしっかりと体得できたことです。また、2回目の体験会では、老師による「提唱(ていしょう:法話)」を聴くことが出来ました。臨済宗において大変重要とされるこの時間は、それまでの穏やかな雰囲気とは一変し、厳粛な空気に包まれていました。

老師がお見えになる前には、参加者が必ず座禅を組み、提唱を聴くために心を整えます。そして、鐘の音を先導に老師が入場されると、老師は真っすぐに道場の一角に飾られたお釈迦様の像の前へと進み、特別丁寧に参拝されました。私たち参加者にも、老師の入場から退出まで事細かに決められた通りの作法が求められました。お辞儀するときの手の位置と組み方、「提唱」の資料をどこに置くかまで、実に細かく定められています。「老師のお話は、耳で聴くのではない。身体全体で聴くのだ」そんな張り詰めた空気と一連の美しい儀礼をまじかで体験できたことは、私にとり知的好奇心を刺激される、本当に素晴らしい体験でした。

日常の中で坐禅と向き合う方法がありました

禅の思想は「心の動揺や迷いを静め、真の自己を見つめなおす行為」と言われ、私たちの日常生活にも取り入れられる深い知恵を持ち合わせています。坐禅の実践には、大きく分けて二つのアプローチがあります。一つは「公安(こうあん)」を用いて、公安と一体になる臨済宗の坐禅。そしてもうひとつが、曹洞宗の「只管打座(しかんたざ)」、すなわち、ただひたすらに坐るという坐禅です。これは、何か特別の目的を達成するための「手段」として坐禅をするのではありません。坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、それ自体がすでに「悟りの姿」であるという教えだと理解しています。私にとっての禅は、必ずしも大本山にこもり続けたり、完璧な道場に通いつめたりすることではありませんでした。日常の中にこの教えを息づかせること。これこそが、今の私にちょうど良い「禅との付き合い方」なのだと気づきました。

私が毎日手に取り読み返している本があります。公方俊良(くぼ しゅんりょう)先生の「般若心経90の知恵」です。その最終章(第90項)では、人間としての本来の姿に目覚めるために、1日1度は静かに坐って心と身体を整えるべく、坐禅をすることが勧められています。そして、そこには「一寸座れば、一寸の仏なり」という言葉が結ばれていました。私はこの教えに倣い、日常生活の中で自然に禅の精神を取り入れる「只管打坐」の心を、少しずつ体得したいと思っています。現在は、毎日とまではいきませんが、自宅で30分ほど、足に無理のない「イス坐禅」を続けています。息を数える数息観(すそくかん)の方法で行っていますが、いまだに次々と雑念が浮かんでき、なかなか100まで数え切りません。しかし、それもまた今の自分の姿なのだと受け止めています。

将来への一歩:厳粛な坐禅会への参加を心に

自宅でイス坐禅を重ねる今も、私の心には、あの子供のころに寶津寺(ほうしんじ)の則信慧光老師からいただいた「鮮烈な刺激」の残像が、消えずに残っています。始まったばかりの、私の禅の旅。やはりいつかは、厳しい修行を重ねて来られた「本物の高僧」の言葉を聴き、その品格に直接触れたいという願いが捨てきれません。そこで、次の機会として心に描いているのが、鎌倉・円覚寺の「日曜説法」や「坐禅会」への参加です。円覚寺は、臨済宗の大本山の一つですが、その凛とした空気の中で聴く老師の説法は、きっと私の「終末をどう生きる」という問いに、本を読んでも得られなかった新しい光を当ててくれるはずです。もし、鎌倉の門を叩く日が来たら、その時の体験と心の変化を、またこのブログで皆様にお届けしたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。(おわり)

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