「歴史の事実を全く知らなかった私」
オランダのケース:オランダ人抑留問題
第二次世界大戦中の日本軍によるオランダ人抑留(1942~1945)事件については、1991年にオランダに赴任してから「日蘭交流400周年記念事業」年の2000年まで全く知りませんでした。400周年記念事業を通じて、在蘭インドネシア人の方から知らされたのが最初でした。調べてみると、軍人・民間人を合わせた約13万人以上が、過酷な環境に置かれ、多くのオランダ人が死亡したという歴史的事件だということを知りました。
仕事の関係で信頼している役所の局長から、オランダ人10人のうち一人は、家族や本人がインドネシアの収容体験があると教えてくれました。そのような歴史的な事実を知らないで、それまで仕事をしてきたのです。私の場合は、いやな目に合ったことは一度もありませんでしたが、それからは十分な配慮を払うようにしました。確かに、その後お付き合いをした人の中に、収容所体験をした方がいました。
また、身近に起こったことですが、同じアパートに住んでおられた年配のオランダ人女性は、実はインドネシアの収容所の体験があることが本人の告白でわかりました。妻の話によれば、エレベーターなどで顔を合わせた時、何となく妻に話しかけたい雰囲気があったそうです。ある日、妻は彼女から「あなたは日本人ですか」と声を掛けられ、日本人であるかどうかを尋ねられました。妻が「はい、日本人です」と答えると、「実は、自分はインドネシアの収容所に入っていました」とぽつりぽつり過去の体験を話をされたそうです。。日本人がどんな人か確かめたくて、いつか妻に声をかけようと思っていたそうです。妻がその時、彼女とどのようなやり取りをしたかは聞いていないのですが、彼女は「あなたと話が出来てよかった。」「これまでの胸のつかえがとれた」と言われたそうです。お互いが、憎み合うのではなく、直接話し合うことの重要さが分かったような気がしました。
シンガポールのケース:「シンガポール華僑粛清事件」
今から60年前の1996年、私が東南アジア・インド・ネパールを旅していた時のことです。シンガポールのとある果物屋に入り、へたくそなマレー語で買い物をしていました。最初の頃は普通のやり取りだったのですが、私が途中から英語に切り替えたとたん、「今、お前に売った果物はすべて返せ」「お前は日本人だろう」「お前には何も売ってやらない」と絶叫しながら私の袋をひったくりました。私は、「何が起きたのか」「私の何がいけなかったのか」全然わかりませんでした。私がポカーンとしていたら、きつい口調で「私の家族は、日本軍人に首を刎ねられ殺された」「何も悪いことしていないのに」と、家族が華僑粛清事件に巻き込まれて殺されたということを話しました。私は、ただ聞くだけで精一杯です。彼の話を全部正しく理解できたわけではないのですが、彼が激高する理由は明らかでした。「日本人が憎い!」と繰り返しました。私は、どのように答えたらいいのか、何も言わない方がいいのか、わからないまま、ただ「ごめんなさい。ごめんなさい」というだけで、涙が出てきました。そんなわけで、買い物をせずにその店を離れました。つらい体験でした。
シンガポールのケース:対日感情で心が揺れる若者たち
1996年10月、東南アジア・インド・ネパールの旅を終え、シンガポール港からフランスの客船M&Mラオス号で帰国した時の出来事です。明日はいよいよ神戸に着くという夜、甲板に出てみました。そこには大勢の乗船客が、明日は日本だという高揚感もあるのかみんな楽しそうでした。その中に、シンガポールの若者の集団がいたので仲間に入れてもらいました。さっそく、みんなに「どこから来たのか」とか「訪日の目的は」。観光客には「どこを観光するのか」留学生には、「どこの大学で何を勉強するのか」など、時々大笑いをしながら話が弾みました。
頃合いを見計らって、「ところで、皆さんは日本は好きですか」と直球の質問をしました。私の質問は、対日感情についてですが、戦争中に起こった「シンガポール華僑粛清事件」について、若者たちがどのような意識を持ってるか知りたかったのです。私の質問に、若者たちの会話が途切れました。どのような回答をすればいいのか考えている様子でした。そのうち、一人が「私は日本が好きです」「日本はアジアのリーダーです」。ほかの若者が「日本の電化商品は素晴らしい」など好意的な返事です。
その時、何かを考えている風の一人の若い女性が堰を切ったように「今の日本は好きだが、戦争中の日本の軍隊は嫌いだ」「憎い」「私の祖父は、日本軍に捉えられ、最後は首を切られて死んだ」と涙ながらに話をしてくれました。他の若者は、びっくりした様子でした。私は、彼女の肩に手をかけながら、「ありがとう、よく打ち明けてくれました」「日本軍がやったことですが、私も謝ります。」と答えるのが20歳の自分が思いつく精いっぱいの言葉でした。
最後は、みんなで「私たちの世代は、仲良くやっていこう」と手を取り合いました。もっと詳しく歴史を学ばなければと思いました。
(つづく)歴史を学ぶことの大切さ(3)歴史を語り継ぐヨーロッパの仕組み



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