「猛暑」「酷暑」で思い出すこと

先週くらいから、TVの天気予報は、日本列島全体が「猛暑」で赤く、ところにより「酷暑」の紫色です。6月が、昨年に比べてかなりしのぎやすかったので、たかをくくっていたら、この暑さです。昨日、取り残した畑のジャガイモ堀をしようと、朝早く畑に出かけました。掘り始めて30分もしないうちに、汗だくだくです。熱中症になったら大変と、魔法瓶の冷たい水を飲みました。30分休んで、また掘り出したのですが、とにかく暑い。そうそうに家に帰り、冷房の効いた部屋に入りました。80歳の体力の衰えを実感しました。

【タイの猛暑、インドの酷暑】

「猛暑」と言えば、60年前タイを旅したときのことを思い出します。バンコックでは、毎日気温が35度を超え、湿度が高く、日差しも強い。蚊が、手で追い払わなければならないほど多いのです。当時20歳の私でも、この暑さには参りました。さらに、「酷暑」と言えば、やはり60年前に旅したインドで経験しました。カルカッタ(現コルカタ)からデリーやタージマハール、ヒンズー教の聖なる河ガンジス河に隣接するバラナシ、デリーなど、どこに行っても摂氏40度を超す暑さでした。アスファルトの道路を30分も歩くと、頭がくらくらしました。

インド北部の都市ゴラクプールで肥料工場を建設していた東洋エンジニアリング(株)にアルバイトで一月お世話になりました。栄養失調のような私を見て、助けてくれました。そこでの仕事の一つが、外の土木工事の現場アシスタントでした。外気温は、40℃を超えていたと思うのですが、木陰に入ると乾燥した風が吹き、結構涼しかったことを思い出します。労働者を見ていると、30分働いては、30分木陰に入って休息です。その時は「インド人労働者は怠け者」と早合点していたのですが、何日か見ていて分かりました。30分ごとに休息を入れないと、暑さに慣れている彼らでも体がもたないのです。

タージマハールでは気温が40度近かった
ヴァナラシでお世話になったインド人家族の宿舎。外のベッドで寝る、

また違った経験は、ボンベイ(現ムンバイ)から、特急電車で二日間かけてデカン高原を横切りカルカッタ(現コルカタ)まで移動した時のことです。デカン高原の日中の気温はおそらく50度を超えていたことを覚えています。コンパートメントには、私のほかにインド人のお母さんと二人の娘さんが乗っていました。彼女たちが、コンパートメントのガラス窓と外側の木製の窓を閉め切りました。「窓は開けた方が風が入り涼しいのになー」と思ったのですが、そのままにしていました。それから何時間か経過した時、暑いので母親に向って「窓を開けてもいいですか」と尋ね、困った顔をした母親を無視して、窓を開けました。「思い切り涼しい風が入って来て、気持ちがよくなるだろう」と期待した私は馬鹿でした。外の風は、熱風そのものでした。私の顔は熱風で焼けるようでした。彼女たちは、サリーを顔に巻き、熱風を防ぎました。すぐ事情が分かりました。窓を開けることは、自殺行為でした。すぐ、母親に誤り、外側の木木製の窓とガラス窓を閉めました。ほっとしました。また、その時気が付いたのですが、熱風を防ぐには、顔に布を巻く必要があったのです。私も、手ぬぐいを顔に巻きつけました。例えが飛びますが、あのアラビアのロレンスで男たちが砂漠で、白いターバンを巻いているのを思い出しました。

汽車のコンパートメントの母娘
デカン高原のある野原

【本格的な酷暑対策が望まれます】

猛暑や酷暑に慣れたタイ人やインド人は、日常生活の中でいろいろ暑さ対策の工夫をして生活をしています。一方、このような暑さを経験して短い日本人は、その場しのぎの対策のようです。かき氷を食べたり、ハンド扇風機、空調ウエアー、水遊びなどで対応しています。土木工事や建設現場で働いている人の暑さ対策は、個々の会社に任されているのが現状のようです。この猛暑は、今後ますます暑くなると思われます。したがって、個々の会社に任せるのではなく、業界団体や行政で対応策を示すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。また私のような高齢者の生活も、ただエアコンの効いた部屋で過ごすというのではなく、積極的な生活パターンなどを開発したいものです。あと2ヶ月、毎日冷房の効いた部屋で一日を過ごすのは大変疲れますね。

読者の皆様 熱中症には、くれぐれもお気を付けください、

 

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