旅行記: 宮古島ブルーとの出会い

新しい旅

与野覇前浜ビーチに隣接する宮古東急ホテル&リゾーツ。客室のベランダに出た瞬間、目の前に広がった海の色に息をのんだ。「なんだ、この海の色は!」「これが宮古島ブルーか!」思わず妻に向って叫んでいた。自宅に帰ってきた今も、あの青い海が脳裏から離れない。

白い砂浜から沖へ向かって、薄い若草色、エメラルドグリーン、淡いブルー、そして深いコバルトブルーへと続くグラデーション。これまで世界の美しい海を見てきた私だが、この色彩とスケールは、想像をはるかに超えていた。ギリシャの地中海ブルー、カリブ海の透明で青い海、ブラジル・レシフェのエメラルド色。どれも確かに美しかった。しかし宮古島ブルーは、透明度、複数の色のグラデーションのすべてが揃っている。「世界一美しい海の色」だと断言できる。

メキシコ・コスメル島。海のブルーがきれい
メキシコ;コスメル島の海。透明度は高い

この奇跡のような宮古島ブルーを実現させているのには、明確な理由がある。宮古島は、サンゴ礁が隆起してできた島なのだ。島には山がないため、雨が降っても土砂が海に流れ出ることがない。また、雨水はそのまま地下へと浸透し、海を汚さずに潤していく。川にいたっては、島全体で細い川がたった一本あるだけだ。さらに海は遠浅だ。この特別な地形環境が、濁りのない透明な海を守り続けている。

伊良部島・池間島で出会った”別の宮古島ブルー”

二日目は太平タクシーを貸し切り、宮古島ブルーの名所を巡った。伊良部大橋、池間大橋、西の浜、中之島ビーチとどこを訪れても驚きの連続だった。それぞれ地形が異なるため、宮古島ブルーも微妙に違う。特に下地島空港滑走路「17エンド」で見た宮古島ブルーは、潮が引いていたにもかかわらず、声にならないほどの美しさだった。ちょうど、引き潮の時間帯だったため、満潮時には見ることが出来ないダイナミックな景色が広がり、サンゴ礁の地形がそのまま露出していた。「写真ではなく、この目に、心に焼き付けたい」と強く思うほどの絶景だった。

下地島空港「17エンド」
伊良部大橋

三日目も同じく太平タクシーを貸し切り、今度は島の東側へと足を延ばした。大浦湾沿いから県道83号線を南下し、東平安名碕(ひがしへんなざき)へ。岬の先端に立つと、左手には東シナ海の鮮やかな宮古島ブルー、右手には太平洋の深いネイビーブルーが広がっていた。東シナ海と太平洋で、これほど海の色が違うものかと驚かされる。太平洋側の海岸線は、泳げる新城(あらぐすく)海岸や吉野海岸を除けば砂浜がなく、切り立った断崖絶壁が続く。海岸線からすぐに水深が深くなるため、吸い込まれそうなほど濃いブルーが広がっていた。宮古島は、西側と東側でまったく異なる二つの顔を持っているのだ。

西の浜ビーチ
東側海岸

宮古島が抱える「光と影」の現実

これほど美しい海を持つ宮古島だが、実際の暮らしはどのようなものなのだろうか。今を知りたくなり、太平タクシーの友利(ともり)さんに、質問攻めにして島の現状を語ってもらった。友利さんは、宮古島生まれで、今年72歳。タクシードライバー暦40年のベテランです。本当はそろそろ退職したいのだが、運転手不足でなかなか辞められないということです。

最初の話題は、先週通過したばかりの台風9号についてだった。風速70メートルを記録したというのに、友利さんは事もなげないように「普通の台風さぁ」と笑う。宮古島をはじめ沖縄の住宅のほとんどは、鉄筋コンクリート造りだという。強風で家が崩壊する恐怖はまずないそうだ。ただ、何年かまえの風速85メートルの台風はさすがに怖かったという。自分の家だったら風速40メートルで屋根が飛んでしまうだろう。

島民が本当に恐れるのは、倒木による停電だ。先週の台風でも、一部の地域では停電が復旧するまで4日かかった。友利さんが「宮古島には、強風が多いため、真っすぐ伸びた木は1本もない」と教えてくれた。島の景色を眺めていると、まさにその通りだと納得させられる。

島の主な産業は、観光業、サトウキビ農業、水産業、そして宮古牛の畜産業。なかでも島全体の面積の7割を占めるサトウキビ農業は、それだけで生活を成り立たせるのは難しく、大半が兼業農家だという。かって盛んだった葉タバコ栽培は、今では衰退し、わずかに残るのみとなっている。一方、観光産業は激動の渦中にある。コロナ禍で年間110万人から36万人へと激減した入域観光客数は、昨年には127万人へと急回復を遂げた。しかし、観光需要に対して人手不足が深刻化している。例えば、タクシー業界では、車両があっても運転手が恒常的に足りない。結果としてドライバーの高齢化が進んでいる。さらに、急増する観光客に伴い、交通事故の半数にレンタカーが絡んでいるという現実もある。この事故対策も、島が抱える大きな課題の一つだ。

さらに深刻なのが、移住者や別荘族の増加に伴う「不動産バブル」だ。20年前なら1,500万円で建てられた家が、今では,4000万円を超える。ワンルームマンションの家賃が、10万円というエリアもあり、地元の若者たちの生活を厳しく圧迫しているのだ。

滞在中、別の中年女性タクシードライバーにも話を聞く機会がああった。「今は親の面倒を見るために仕方なく、島に帰ってきているが、本当はまた島を出たい」というのです。島を出たい理由を尋ねると、「都会には何でもあるから」という答えが返ってきた。私は思わず、「都会には何でもありますが、経済力が無ければ無いのとおなじではありませんか」と言葉を返した。つづけて、「こんなに美しい宮古島ブルーはここにしかありませんよ」。よく聞いてみると、島を出たいという事情はそれぞれあるらしいが、島を出たいと思っているのは、若年層に限らず中高年層にも一定数いるとのことでした。

また、最近の島民の間では、陸上自衛隊のオスプレーが島に飛来・離着する計画に対して賛否両論があるということです。観光地としての将来明るい発展と、島に生きる人々の過酷な暮らしの現実。それらが複雑に交差しているのが、今の宮古島でした。友利さんに聞いた話では、実はサトウキビは強い風や台風で地面まで倒されてしまっても、日が経てば自力で起き上がり、また元のようにまっすぐ立ち直る極めて生命力の強い作物だそうです。島の人達もサトウキビのように、困難にもめげず頑張ってほしいと思いました。 

また来ます、宮古島!

宮古島ブルーは、私と妻をすっかり虜にしてしまった。そして忘れられないのが、滞在最後の夕食をした「海の幸」でのひととき。隣のテーブルに座る常連客の母娘と交わした、心地よい会話だ。テーブルに置かれた泡盛の一升瓶を片手で持ち、驚くほどのハイピッチで空けていく70代の母親とその横で笑う中年の娘。「泡盛こそ、健康の源」と笑いの絶えない二人の姿に、この島が持つおおらかな人柄や、ぬくもりに触れた気がした。

一方で、3年前に本土から島に帰ってきたタクシードライバーの平良さん52歳が吐いた「本土の海は黒い」という一言に、複雑な気持ちが凝縮しているのではないかと私の胸を刺した。「本土の海は黒い」宮古島ブルーを見ながら暮らせる環境が、島の人々にとって当たり前であってほしい。  

島の美しい海も光も、抱える影も、すべてがこの島の魅力だ。

次回は、娘も連れて三人で訪れたいと思う。帰宅したら早速予約をするつもりだ。

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