■久しぶりの都会
昨日、眼科の診察を受けるために、久しぶりに電車で熱海まで出かけた。伊豆高原駅から来宮駅までは、電車で約一時間。自宅からだと行き帰りで5時間かかった。電車に乗り降りする高齢者や若者、外国人の観光客。来宮駅から眼科までの急勾配の道を歩く。行き交うバスやオートバイ、交差点から聞こえてくる「ピヨピヨ」という歩行誘導音。熱海の街を行き交う人々を眺めていると、実に新鮮だ。そこには、普段の田舎暮らしでは見たり聞いたりすることのできない、都会の音や慌ただしい動き、そしてコンクリートのビルの風景があった。田舎の自然の静けさに慣れている私の五感が、慣れない環境の刺激に慌ただしく反応する。それは、「心地よい」というのではなく、「エネルギーをもらう」という感覚に近かった。駅のプラットホームのベンチに座り、行き交う人々を眺めているだけでも飽きない。あまりジロジロとは見られないが、田舎暮らしの隣人とは全く違う。多様な人々の動きに興味が湧いてくる。脳が活発に動いている感覚があり、まるで若返ったような気分になった。
■都会から刺激をもらう
帰宅して妻に「久しぶりの外出で、都会のエネルギーを貰って若返った気がするよ」と話すと、妻は笑いながら「よかったですね。時々都会に外出することは、よい刺激になって若返りますよ」と言ってくれた。実は、コロナ禍前までは、田舎暮らしをベースにしながらも、仕事で毎月一週間ほどカンボジアに出張していた。また、時々東京でのミーティングにも足を運んでいた。そんな「都会(ロゴスの世界)との接点」がある生活から、コロナ禍以降は一転、突然田舎に引きこもるだけの生活になってしまっていた。知らず知らずのうちに、脳への刺激がなくなっていたのかもしれない。ここでの暮らしは、穏やかだが、挨拶する隣人も、話す内容もほぼ決まったいる。さらに、最近は体力の衰えも実感するようになっており、思うように畑作業や庭仕事が出来なくなっていたことも重なっていた。
■都会に出向こう
普段の私たちの生活は、コンクリートの世界で時間に追われ、気ぜわしく働く人々の世界(ロゴスの世界)から距離を置いている。今は、東京の病院へ3か月に1度定期健診で東京に出かけるくらいだ。しかし、今日の会話から、「最低でも月に1度は、都会に出て刺激を貰いましょうか」と、笑いながら結論がまとまった。さて、どこの町へ行こうか。「無理なく日帰りが出来て、庶民のショッピングを楽しみ、手軽においしい中華料理が食べられるところがいいね」ということになった。色々な候補の中から、まず最初に選んだのは、「大船」だ。大船は、昔から馴染みがあり、下町の風情が残っている。それに、鎌倉に住んでいる仲間と都内の仲間が集まるには都合がいい場所だ。
実は、大船を選んだのにはもう一つの理由がある。大学時代からの仲間のうち、鎌倉と都内に住んでいる3人が、これまでにたびたび大船に集まっていたのだ。コーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、中華の「大船ワンちゃん」で食事をしたり、その後はカラオケに興じていたのだ。当時の私は、「伊豆の山奥からは遠いから」という理由で、その集まりには参加していなかった。しかし、その3人のうち鎌倉に住んでいた仲間が、今年先に旅立ってしまった。それ以来、その集まりは一時中断しているようだ。「それなら、今度は私が大船へ行って、あの集まりを復活させよう。」そんな思いもあって、目的地を大船にした。これから、仲間に相談してみようと思う。次の計画が決まっただけで、また少し若返るような気分になった。
■新しい伊豆暮らし:「ピュシス」の世界に「ロゴス」の刺激を加える
生物学者、福岡伸一氏の言葉を借りるなら、自然に囲まれた田舎暮らしは、「ピュシス(自然)の世界」であり、人工的で論理的な都会は、「ロゴス(人間の論理)の世界」といえる。福岡氏は、現代社社会ではロゴスが肥大化しすぎると指摘している。そして、その解決策として「完全に自然に帰る」のではなく、ロゴスの世界に住みながらも時折「ピュシスへの回帰」を取り入れることが必要だと説いている。
私の場合はその逆だ。私たちの「ピュシス」の暮らしは、もう20年を超えた。毎朝、毎日のように自然の変化を感じながら送る生活は、それまでの私の人生観や生命観を大きく変えてくれた。「ヒトも自然の一部であり、自然のなかで生かされている」そう実感できる今の田舎暮らしに、とても満足している。これからもこの豊かな自然を感じながら、生きていくつもりだ。だからこそ、時に「ロゴス」の刺激を少しエッセンスとして取り入れることが、これからの伊豆暮らしをさらに瑞々しく、長く楽しむための秘訣かもしれない。大いに期待してみることにした。


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