世界に育てられた45年~「忘れがたい人」との出会いと学び~Vol.2   故クラース・デ・ヨング(The late Mr.Klaas de Jong)

出会い・学び

 

【前回の予告変更のお詫びとお知らせ】(Notice &Apology:Update on Today’s Planned Content) 

前回の記事で、第2回は「欧州プロジェクトのフィジビリティ―スタディー編」とお知らせしていましたが、実は本連載でご紹介する予定だった、私の大切な友人であるクラース・デ・ヨング(Klaas de Jong)さんが、亡くなったという本当に悲しい知らせが届きました。そこで、急遽ではありますが、今回はクラースさんを偲ぶ特別な記事をお届けします。

【追悼】(Condolence)

連載ブログ「世界に育てられた45年」の第2回目として、故クラース・デ・ヨング氏に謹んで哀悼の誠を捧げます。彼は深い知見と強力なネットワークをもって、私たちの欧州事業を導いてくれた最高の「水先案内人」でした。今回の記事では、クラースさんが我が社に示してくれた多大な貢献と、私の独立後もいただいた変わらぬ温かいご支援を振り返ります。

【略歴】

  • 1968年~1970年代前半:国際機関でのキャリア
  •  ワーヘニンゲン大学を卒業後、エコノミストとしてキャリアをスタート
  •  国連(UN)や国連食糧農業機関(FAO)の国際貿易開発担当
  •  東アフリカや中南米で活躍
  • 1976年~1992年:政府官僚・外交官としてのキャリア
  •  オランダ農水省の農業参事官などを歴任
  •  中東やイタリアのオランダ大使館で外交官として勤務
  •  オランダ経済省の国際貿易局の総局長(局長)就任
  •  国家の輸出政策のトップとして活躍
  • 1993年~2006年:政府退官後のキャリア
  •  世界的な大手栄養食品会社・ニュートリ社(Nutricia)の執行役員として招請
  •  ロイヤル・ニューミコ(Royal Numico N.V)コーポレート・アフェアーズ副社長に就任
  •  政府や国際機関(FAO/WHOのコーデックス委員会など)との折衝
  •  企業のグローバル広報の最高責任者として、同社の世界展開を13年間支え続けた
  •  2007年7月に発表されたダノン社による買収交渉で重要な役割を果たした
  • 2006年に同社を退職
  • 退職後~2025年年12月
  •  環境ラベルの認証団体(Stichting Milieukeur)の会長
  •  Van Kempen Associatesのシニアアドバイザー
  •  パブリック・アファーム(官民連携・広報戦略)の重鎮として活動
  •  晩年は、南アフリカの別荘で穏やかな日々をすごされていました

我が社の欧州市場進出の挑戦を支え続けてくれた恩人への感謝

1.オランダやEUの食品法規制に関する適切な情報提供

「オランダおよびEUの食品法規制の把握は、私たちの欧州市場への進出において最重要課題のひとつでした。実はEUの食品規制には、ヨーロッパ全体で共通の「統一ルール」がある一方で、最終的な運用や細かい基準は「各国の裁量」に委ねられている部分が約一割くらい残されていました。特に1993年の「ヒト、モノ、カネ」の自由化に合わせて、EU と各国のバランスは、しのぎを削った交渉が続けられていました。日本とは全く異なるこの二重の仕組みが、海外から進出する企業にとって注意しなければならない障壁となります。これがいかに難解であるかは、ヨーロッパの紛争の歴史を見てもよくわかります。

●ドイツとフランスの間のヨーグルト紛争

「ヨーグルト」の定義や製法(乳酸菌の生存基準など)を巡り、独自の伝統や国内ルールを持つドイツとフランスの間で、名称の表示や市場への参入を巡る激しい法的な論争が起こりました。お互いの国で当たり前に売られている食品であっても、国境を越えた瞬間に「ヨーグルトと名乗れない」と言った事態が発生するのです。

●ハイネケンビールとドイツのビール戦争

ドイツには500年以上続く「ビール純粋令」という、水、麦芽、ホップ,酵母以外の原材料を認めない厳しい国内法がありました。これにより、隣国オランダのハイネケンなどの海外ビールが、長年にわたりドイツ国内で「ビール」として販売できないという高い参入障壁が生まれ、大きな規制論争へと発展しました。

食品のカテゴリーは、単に販売に関係するだけでなく、食品のカテゴリーごとのVAT(付加価値税)にも関係してきますので、経営の問題でもあります。このように、ヨーロッパでは「自国の伝統や裁量」と「EU共通ルール」のせめぎ合いが今日でも続いています。つまり、EU全体の基準を満たすだけでなく、進出先のオランダ、ドイツ、ベルギ―、イギリスの独自の細かい法規制や規格、ガイドラインも同時にクリアしなければならないという「二重三重の網の目」が存在するのです。それも、厄介なことは現在だけでなく将来の方針も、タイミングよくキャッチしなければならないのです。日本の基準しか知らない私たちは、この複雑な仕組みを前に、「どこから手をつければよいのか」、「どこの誰に聞けばよいのか」分からない状態でした。

ちょうどその時、日本を出る時、本社の専務から「この人に一度会っておくように」と言われて渡された一枚の名刺の人物が浮かんできました。農林水産省貿易産業局長ロール‣ボウル(Mr. Roel Bol)さんです。さっそくロールさんに面会の約束を取り付け、ハーグ市の農水省の彼のオフィスに行きました。そこには、オランダ経済省の国際貿易の総局長のクラースさんが同席されていました。ロールさんがクラースさんを紹介してくれました。これが、私のクラースさんとの最初の出会いでした。私は、クラースさんにこの「EU」 とオランダや他の国の食品移管する法律や規格、ガイドラインなどについて、私たちが進むべき具体的なルートを示してくれることを期待しました。

クラースさんは、フィジビリティスタディー段階から販売開始後の全期間を通じて、複雑な基準の変更や政策の方向性について常に先手で共有し、継続的にアドバイスをくれました。彼はまさに私たちにとり「最高の水先案内人」でした。常に最新情報にアップデートされた彼のアドバイスのお陰で、私たちは法的なトラブルを完全に回避し、安心して事業を推進してこれました。クラースさんとの出会いは、私たちに取り「忘れがたき出会いであり、彼から多くを学びました」。

2.工場オープニングセレモニーへの農林大臣の参列

クラースさんの働きかけによって実現した、最も具体的で象徴的な成果の一つが、新工場のオープニングセレモニーです。新工場は、アムステルダムから北に約40㎞のアルメア市に建設しました。私たちの「欧州市場進出計画」は、当初から今日にいたるまで、本当に多くのパートナーや協力者に支えられてきました。当日の式典には、在オランダ日本国特命全権大使有馬龍夫氏をはじめ、NFIA( オランダ経済省企業誘致局)局長、農水省、アルメア市長、法律事務所、建設会社、現地マスコミ関係者、日経新聞ブラッセル支局長日下淳氏など多くの皆様のご参列を頂きました。そして、このオープニングセレモニー最大のハイライトとなったのが、当時の農水大臣ピーテル・ブックマン氏の参列です。これはまさにクラースさんの現地政府への力強い働きかけがあったからこそ実現した出来事でした。

ブックマン大臣に製造開始のボタンを押していただき、最初の商品が製造され出てきた瞬間は、今でも忘れることが出来ません。このオープニングセレモニーが盛大かつ円滑に進行し、私たちのビジネスが現地で確固たる「公的信頼」を得る大きな契機となったのは、クラースさんの並々ならぬご尽力があったからにほかなりません。

3.紹介によるビジネスネットワークの拡大

今から思い返しますと、クラースさんは私のビジネスネットワークを広げるために、事あるごとにご自身の仲間や関係者を引き合わせてくれていました。例えば、ハーグ市の農水省でミーティングを終えた後、決まって彼の行きつけのレストランでよくランチを共にしました。そこは、彼の役所の同僚や仲間たちが自然と集まる場所でした。クラースさんはそこで、私を「大切な仲間」として彼らに紹介してくれたのです。また、ときおり小さなお洒落なレストランで夕食をごちそうになった際にも、そこには彼の信頼する友人がおり、暖かく紹介してくれました。さらに、農水省や関連団体が主催するイベントやシンポジュームにもたびたび招待していただき、多くのキーパースンとの縁を紡いでくれました。クラースさんは、単に一度限りの紹介をするのではなく、私たちのビジネスの状況変化に応じて、その都度必要な人物を意図的に引き合わせてくれていたのです。こうして自然に広がっていったネットワークのおかげで、その後の実務がどれほどスムーズに運んだかは言うまでもありません。クラースさんが紡いでくれた温かい人間関係は、いまも私にとってなにものにも代えがたい貴重な財産となっています。

4.独立後のサポートとCSR/SRIプロジェクトの成功

私が独立した後にも、クラースさんは変わらぬ深い友情と惜しみないサポートを示してくれました。特に、私が企画した『企業の社会的責任(CSR)と社会的責任投資(SRI)の理論と実践ーヨーロッパの現状に学ぶー』の実現は、彼の献身的な協力なしには不可能なものでした。彼は、オランダ経団連(VNO-NCW)を主催者に巻き込み、欧州のCSR最先端を走る気鋭の学者、官僚、企業、そしてNGOのリーダーたちを講師陣として招請してくれたのです。さらに、クラースさん自身も当時所属していた大手食品・栄養食企業「NUMICO(ヌミコ)」のコーポ―レート・アフェアーズ筆頭副社長として登壇し、実践的な対NGO活動について講義をしてくださいました。特に、筆頭副社長というトップマネージメント自らが、単身でNGO、例えば国際環境NGOの「グリーンピース」や国際人権NGO「アムネスティ・インターナショナル―」に赴き、開発段階の商品や、ミャンマーやインドへの工場建設計画、現地の労働実態にいたるまで包み隠さず説明し、対話を重ねるというリアルな活動は、日本からの受講者たちに強烈な印象を残しました。

セミナーにおけるクラースさん(中央)の講義姿です。

このほかにも、オランダ政府や食品業界に関するインタビュー調査の際には、事あるごとに最適な訪問先や担当者とのミーティングをアレンジしていただきました。彼の存在は、独立したばかりの私にとって最高の精神的な支えであり、ビジネスの羅針盤でした。振り返ってみると、私は彼から与えられるばかりで、何一つお返しが出来ていないことにきずきます。彼には、直接お返しが出来ませんでしたが、その代わりに後輩たちにお返しをしていきたいと思っています。

5.家族くぐるみの交流

クラースさんとの絆は仕事の関係にとどまらず、お互いの自宅に食事に招待しあうなど、家族ぐるみの深い交流へと発展していきました。その中でも、ノードワイク(Noordwijk)のご自宅に招待していただいた日々のことは、今も鮮明に覚えています。奥様の心のこもった素晴らしい手料理と美味しいワインを囲みながら、クラースさんが外交官時代に滞在していたローマでのエピソードを楽しそうに語ってくれた時間は、言葉にできないくらい贅沢なものでした。文化や国境を越えて、一人の人間として、そして家族として迎い入れていただいたあの時間は、私と妻にとってなにものにもかけがえのない思い出となっています。

結び:親愛なるクラースさんへ、そして奥様へ

今年7月に、今回始めたブログで紹介する際に、写真の掲載の承認を取るためにメールを出しました。いつもはすぐ返事があるのに、今回は送信できないのです。2度メールを出したのですが、結果は同じでした。おかしいなとと思い、奥様のマーガレットさんにメールを出したところ、思いもせぬ悲しい知らせが届きました。昨年12月、クラースさんが急逝されていました。突然の知らせに驚くと同時に、寂しさがこみ上げてきました。南アフリカでゴルフとワインを楽しむ毎日を送られているとばかり思っていましたので。クラースさんは、私にとって、ビジネスの師であるとともに、いつでも温かく導いてくれる「頼りになる兄」のような存在でした。実務への的確なアドバイス、惜しみなく共有してくれた人脈、私の独立後の重要なプロジェクトへの献身的な協力。そして何よりも、ご家族と過ごした暖かい時間。クラースさんが残してくれたすべてのものが、今も私たちの人生を照らすかけがえのない宝物です。これまでの絶え間ないご支援と、今も鮮やかに記憶に残る楽しい思い出に、心からの敬意と感謝を捧げます。

さいごになりますが、最愛の奥様へ

突然のことで、まだお辛く悲しい日々を過ごされておられることと存じます。どうかご無理をなさらず、お体を一番大切に、これからの日々をお過ごしください。クラースさんが私たちに遺してくれたこの温かいご縁をこれからも大切に育みながら、私たちも前を向いて歩んでまいります。クラースさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

【次回予告】

第3回は、第一章フィジビリティ―・スタディー編(状況説明)を予定していましたが、変更して、私を支えてくれた【最強のアシスタント】:イングリッド・ハウトクーパー(Ingrid Houtkooper)氏についてお話いたします。楽しみにしていてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました