世界に育てられた45年~「忘れがたい人」との出会いと学びVol.14     イーブ・クマ―(Yvs Kummer)さん

出会い・学び
Finale WK rugby kijken bij oud international Yves Kummer, Amsterdam, Nederland Portret Yves Kummer Fotografie Judith Jockel

はじめに

今回紹介するイーヴ‣クマ―さんは、仕事上の仲間というよりも、仕事を離れたプライベートな友人として、多くの思い出を共有してきました。出会ってから今日まで、お互いに歩んできた道は決して同じではありません。それでも、最初にあったころと変わらず、気さくで飾らない関係が今も続いていることは、私にとって大きな財産です。また、彼のスポーツ界にとどまらない幅広い人脈のお陰で、多くの人びとと知り合い、オランダ社会を深く知る機会にも恵まれました。そこで学んだことは、『人と人とのつながり」の大切さでした。日本では、学閥や企業内の人脈、あるいは出身地との結びつきが人間関係の基盤になることがあります。しかし、オランダではそのような枠組みよりも、人と人との信頼関係そのものが重視されているように感じました。その結びつきは、日本のそれとは異なる質の強さを持っているように思います。

また、奥様のイレーネさんは、彼がオランダラグビー界のレジェンドと評価されているのと同じように、オランダのボート競技界においてオリンピックのメダリストとして活躍されたアスリートです。そして、二人とも地位や名誉を鼻にかけることはまったくありません。飾らず、偉ぶらず、いつも変わらぬ笑顔で接してくれます。そして実用的な車を軽快に乗り回している姿を見るたびに、肩書や社会的地位とは別のところに人間の魅力があることをあらためて感じます。そんなイーヴさん夫妻と過ごす時間は、妻にとっても私にとっても、いつも楽しく心温まるひとときなのです。

1.【ミニマム・プロフィール】

  • 1965年生まれ。オランダラグビー界を代表する伝説的プレーヤーの一人。名門「DIOK]を率いて国内リーグ10連覇を達成。
  • オランダ代表として84キャップを誇る。世界選抜「バーバリアンズ」にも選出された。
  • 現役引退後は、アスリートの権利保護やセカンドキャリア支援に尽力。EUAthletes会長、NLSporter会長として、オランダおよびヨーロッパのスポーツ界において、トップスポーツコメンテーター、ビジネスリーダーとして幅広く活躍した。
  • 1994年から1999年まで、日本の大手食品会社のオランダ法人においてプロダクトマネージャーを務める。
  • 現在は起業家として、自身が設立したコンサルティング会社「Hampton Court」を中心に活動。複数のグローバル企業で取締役やアドバイザーを務めている。

2.【出会い:採用面接】

私が在籍していた日本の大手食品会社のオランダ法人は、1994年にオランダ市場で新商品の販売を開始することになりました。それに伴い、プロダクトマネージャーを採用する必要性が生じました。そこで、すでにマーケティングマネージャーとして仲間になっていたマリー・ポーリンさんに候補者の紹介をお願いしました。彼女が紹介してくれたのが、イーヴ‣クマ―さんでした。

ある朝、事務所に出勤すると、マリー・ポーリンさんが一人の男性を連れて待っていました。その男性が、イーヴさんでした。目の前に座った彼を見た時の第一印象は、とにかく「身体が大きくて、ごつい!」というものでした。ラガーマンですから、全身が筋肉のかたまりです。しかしそれ以上に驚いたのは顔でした。顔中にひっかき傷があり、腕にも生々しい傷跡が残っています。そんな彼を私がまじまじ見ていると、その様子に気が付いたマリー・ポーリンさんが笑っています。そこで、彼が一部始終を説明してくれました。

昨日、彼が所属しているライデン市のラグビークラブチーム「DIOK」の試合に出ていたというのです。傷は、その試合で出来たものでした。私は、もう一度まじまじと彼を見ながら、思わず笑いだしそうになりました。さらに顔立ちも、一般的なオランダ人とは少し違って見えました。どちらかと言えば、フランス映画に登場する愛嬌のある三枚目の俳優のような雰囲気です。あとで彼から聞いたところによると、お父様のエマヌエル・クマ―さんは、オランダ人の父とフランス人の母親との間に生まれた方で、イーヴさんはフランス人の血を受け継いでいるとのことでした。したがって、フランス国籍を持っているそうです。

しかし、何より魅力的だったのは彼の人がらでした。話にはユーモアがあり、気取りがなく、飾り気もありません。最初の雑談を交わしただけで、私は彼の人格に強く惹かれました。そして、その場で採用しようと決めたのです。プロダクトマネージャーとしての採用でしたが、彼は、「私はプロダクトマネージャーとしての知識も経験もありません」と素直にに答えました。そこで私は、「知識や経験はこれから身に着けることができます。大事なのは人格です」。同時に「この仕事に挑戦したいという意志と学ぶ意欲、それに仕事を理解できる基礎能力です。それさえあれば、十分です」と答えました。彼はしばらく考えたあと、「挑戦したい」と返事しました。それで採用は決まりました。採用面談そのものは、10分ほどだったと思います。

今振り返れば、私はプロダクトマネージャーを採用したというより、一人の優秀な人材との出会いを得たのだと思います。後日彼が言うには、当社の採用面談を受ける前にオランダの大手栄養食品会社のプロダクトマネージャー職に応募したものの、FMCG(高回転消費財)の経験がないという理由で不採用になったそうです。おそらく彼は、当社でも同じ理由で不採用になると思っていたのでしょう。経験より人格や可能性を見てくれた私の言葉が意外だったのかもしれません。

3.【”二人三脚”で仕事に挑戦】

イーヴさんには「プロダクトマネージャーとしての知識や経験は必要ない」といったものの、実を言えば私自身もプロダクトマネージャーの経験はありませんでした。そんな状況下では、もちろんマーケティングマネージャーやセールスマネージャーが協力してくれました。しかし、具体的な市場参入戦略については、私も彼もこれから学ばなければならない立場でした。

そのような状況の中、彼が企画書や実行プランを作成して持ってくるのですが、最初のうちはなかなか納得のできる内容にはなりませんでした。「もう一度考えましょう」私はそう言って差し戻します。彼も真剣に考え、修正した案を持ってきます。しかし、それでも首を縦に振りません。そんなやり取りを何度か繰り返したあと、とうとう彼が私を問い詰めるような口調で、「では、あなたならどう考えるのですか」「あなたの考えを聞かせてほしい」というのです。ところが、多くの場合は、私自身にも明確な答えがあるわけではありませんでした。そこで、私は、「私にも正解はわからない。一緒に考えよう」と答えました。結局のところ、私たち二人で議論を重ねながら、一つひとつ計画書を作り上げていったのです。

彼にとっても大変だったと思いますが、私にとっても楽な仕事ではありませんでした。最終的には社長である私が結論を出さなければならないからです。今振り返ると、他のマネージャーたちの支えがあったからこそ、何とか乗り越えることができたのだと思います。そして何より大きな収穫は、イーヴさんだけでなく私自身も大いに学ぶことができたことでした。彼を育成していたつもりが、実際には私もまた彼とともに成長していたのです。

4.【彼の人脈からオランダ社会が見えてきた】

● D.I.O.K.(ディオック=ラグビーチーム)通い

私は子供のころ、3歳年上の兄が遊びに行く先を良く追いかけたものでした。そして兄の友達の輪の中にはいり、一緒になって遊んだ経験があります。読者の中にも同じような思い出をお持ちの方もいるのではないでしょうか。オランダに来てからの私は、まさにそのころと同じ気持ちでした。イーヴさんという人物に強く惹かれ、彼がどんな人たちと付き合い、どのような世界を見ているのかを知りたくなったのです。

その手始めが、ライデン市を本拠地とするラグビークラブ「D.I.O.K.」のホームグランド通いでした。週末ともなると足を運び、練習風景を見学しました。ときどき、イギリスのウエールズやスコットランドから遠征チームが訪れ、試合が行われることがありました。ラグビー好きだった私にとって、本場のラグビーを間近で見られるのは大きな楽しみでした。選手たちの激しいぶつかり合い、スピード感あふれるプレーには、何度見ても興奮したものでした。そしてなによりもラグビーの素晴らしさは、試合後にもあります。ラグビーには「ノーサイド」の精神という言葉があります。「試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、敵も味方もなくなり、同じラグビーを愛する仲間へともどる」そんな価値観が自然に受け継がれているスポーツです。激しい試合が終ると、選手たちはシャワーを浴び、その後は国籍に関係なくみんなでビールを片手に談笑します。ただしイーヴさんは現役を終えるまではアルコールを飲んでいませんでした。つい先ほどまで、激しくぶつかり合っていた相手同士が、笑顔で肩を組んで語り合う姿は実に印象的でした。私は、いつしかクラブの一員になったような気分で、その輪に加わることがありました。私をとがめる人は誰もいませんでした。また、ある時は、試合観戦にきていたイーヴのお父さん、エマヌエル・クマ―さんを紹介していただき色々話したものでした。当時は、「フランス文学者」とだけ聞いていましたが、後になってフランス文学の著名な翻訳家で小説家、ライデン大学で教鞭をとっている人物であることを知りました。そんなことを一切見せないお父様でした。とにかく、イーヴさんの周囲には、私の知らない世界が広がっていたのです。参考:D.I.O.K.(Doorzetten is Onze Kracht) の意味は、「努力をすることが私たちの力」です。                                                              

●ジム通い

イーヴさんとはラグビー場だけでなく、彼が通うジムにも一緒に出かけました。そして私自身もトレーニングを始めることになりました。もともと運動が好きだったのですが、社会人になってからは運動から遠ざかっていました。筋肉らしい筋肉もなかった私ですから、イーヴさんから私のトレーニングを任された担当のトレーナーはさぞ苦労されたことでしょう。とにかくトレーニングマシンに向い、身体を動かすことは実に気持ちの良い体験でした。体を鍛える快感を思い出させました。年齢を重ねてから新しいことに挑戦する楽しさも感じました。気が付けば、私もラガーマンの仲間入りしたような気分になっていました。

こうして私は、スポーツ関係者だけでなく、ジャーナリスト、コンサルタント、経営者などさまざまな分野で活躍するイーヴさんの友人たちと知り合う機会を得ました。特に記憶に残っている一人が、著名なジャーナリストのマーク・ブラウザ(Mark Blaisse)さんらとの交流を通じてオランダ社会の一端が少しづつ見えるようになってきたのです。その中心には、いつもイーヴさんがいました。彼は、人柄がよいだけの人物ではありませんでした。知性とユーモアを兼ね備え、何事にも関心を示し、人と人とを自然に結びつける力を持っていました。だからこそ、多くの人から信頼され、慕われていたのだと思います。

5.【起業から成功までの歩み】

「机一つの小さな事務所から」

現在のイーヴさんは、起業家として自身が設立した投資コンサルティング会社「Hampton Court」などを通じて、複数のグローバル企業の役員やアドバイザーを務めるまでに成功をおさめています。さらに、ラグビーの精神である規律、リスペクト、そしてタフネスを生かし、生活困窮者や若者の社会復帰・就職を支援するオランダの革新的な社会プログラム「De Harde Leerschool」の創設者としても活動しています。彼のこれまでの活躍を知るたびに、私は深い感慨を覚えます。なぜなら、彼が当社を退職し、信頼するラグビー仲間と二人で起業したころを良く知っているからです。

最初の事務所は、私が住んでいたアムステルフェーン市のあるオフィスビルの一室でした。決して広くはない部屋に、机と電話とソファーがあるだけでした。そこにはラグビー仲間が入れ代わり立ち代わり集まり、将来について語り合っていました。当初は決して順調な船出ではなかったと思います。しかし、彼の幅広い人脈と持ち前の行動が大きな力になったのでしょう。販売促進やイベント企画などの仕事を少しづつ増やし、やがてアムステルダム中央駅近くのウオーターフロントに広い事務所を構えるまでに成長していました。若い社員が30数名いたと記憶しています。起業してからそこまで会社を育てあげた努力には、本当に敬服するのみでした。その後は事業をパート―ナーの友人に託し、自らはコンサルタント、アドバイザーとして新たな道を歩み続けています。そして、今なお投資家として、より大きな夢に向かって挑戦を続けています。彼ならきっと、その夢も実現することでしょう。なぜなら、自分一人の力を過信することなく、また個人の利益だけを追うのでもなく、多くの人びとの幸せの実現に心血を注いできた人だからです。

6.【おわりに ~朋あり遠方より来る、また楽しからずや~】

イーヴさんとエレーネさんに巡り合えたことは、私たち夫婦にとって大きな喜びです。彼は退職後も来日のたびに私たち訪ねてくれます。最初の訪問は、2000年。香川県にある私の実家まで足を運んでくれました。2019年には彼の友人達と一緒に伊豆の田舎までやってきました。そして2025年には、奥さんのエレーネさんとともに伊豆まで来られました。いずれも短い滞在ではありましたが、私たちにとってはかけがいのない時間でした。今でも時々妻と二人、オランダで暮らした日々の思い出話に花を咲かせながら、伊豆での暮らしを楽しんでいます。遠くに離れていても、友情は色あせることはありません。

2000年自宅にて
2019年伊豆の家に✊
2025年 伊豆の”トンカツ”屋さんにて

「イーヴさん」、「エレーナさん」伊豆の山あいからお二人の活躍を応援しています。

そして、また是非私たちの家に遊びに来てください。妻とともに、その日を楽しみに待っています。

7.【次回の予告】

次回は、私が在籍していた日本の大手食品会社が、1993年から今日までスポンサー関係が続いているオランダ交響楽団の総支配人だった故ヤン・ウィレム・ロート(Jan Willem Loot)さんと、現在も現役で指揮活動を続けておられるハルトムート・ヘンヒエン(Hartmut Haenchen)さんについて紹介いたします。

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