世界に育てられた45年~「忘れがたい人」との出会いと学び~Vol.10 日蘭企業交流の功労者クリスタ・デ・ケンプ・エーヴェルツ(Christa de Kemp-Everts)さん

出会い・学び

【はじめに】

今回紹介するケンプさんは、1979年にアムステルフェーン市でキャリアをスタートさせてから、2026年9月に蘭日貿易連盟(DUJAT)の専務理事を退任されるまで、通算45年以上にわたり日本企業のオランダ進出に携わってこられました。特記すべきことは、進出後の企業と派遣社員家族への支援も常に的確で、きめ細やかでした。日本企業や日本人の文化・習慣を深く理解し、公私ともに日本を愛し、最前線で日蘭の絆を強固にしてきたケンプさんの功績は、今も両国のビジネス界で高く評価されています。私自身は、1993年に出会って以来、オランダ駐在時代、日本に帰国してから今日まで30年以上にわたり、家族ぐるみのお付き合いを続けさせていただいています。

1.【プロフィール】

  • 1978年:アムステルダム大学 (オランダ法・国際法卒業)
  • 1979年~2001年:アムステルフェーン市役所にて行政キャリアを積む(経済部長などを歴任)
  • 2001年~2016年:アムステルダム・インビジネス(アムステルダム首都圏政府系投資誘致機関)日本デスク部長
  • 2016年~2026年:蘭日貿易連盟(DUJAT)専務理事
  •          (日蘭両国企業の強力なネットワークを牽引、ビジネス交流を包括的に支えました。)
  • 2016年:旭日双光章(The Order of the Rising Sun,Gold and Silver Rays)叙勲

2.【企業誘致にとどまらず、日本人社会へのサポートに奔走】

1990年代初め、アムステルフェーン市にはすでにキャノンやリコーといった大企業が欧州拠点の事務所を設けていました。当時の市役所経済部は、単に企業のオフィスを誘致するだけでなく、急増する日本人駐在員とその家族が「現地で安心して暮らせるためのインフラ作りに奔走していたのです。増え続ける日本人子女のために学校の受け入れ態勢を整え、アムステルフェーン市民病院では日本語が通じる、あるいは日本人向けの医療相談ができる体制を整えるための行政調整が行われていました。さらに、日本食レストランや日本食材スーパーの誘致を実現するなど、日本人が住みやすい街の土台が、行政と民間企業の二人三脚で急速に整備されて行きました。このような施策の陣頭指揮を執っていたのが、ほかでもない経済部部長のケンプさんでした。

オランダ法人を設立した私は、1993年に会社の事務所の物件を探していました。そんなときNFIA(オランダ経済省企業誘致局)からアムステルフェーン市のケンプ部長を紹介されました。市役所を訪問し、初めてケンプさんにお目にかかりました。笑みに包まれた小柄な体からは、エネルギーが発散していたことを思い出します。訪問後、担当者の方が親身になって事務所の物件を探していただき、新興住宅街に隣接する事務所ビルに決めることが出来ました。また、私を含め日本からの派遣社員や家族の滞在ビザなどでサポートしていただきました。

最初の訪問後、ケンプさんから時々声がかかり、彼女の事務所に伺うと、決まって「何か困ったことはないか」「希望することはないか」と細かく聞いてくれたものです。こんな会話から、地元住民を巻き込んだ「駅伝マラソン」も実現したひとつでした。ケンプさんのこの姿勢は、その後に招請された「アムステルダム・インビジネス」や「蘭日貿易連盟(DUJAT)」時代も含め、信念として一貫していました。彼女の情熱的な活動は、アムステルフェーン市からアムステルダム首都圏、そしてオランダ全体へと、時を追うごとにその舞台を広げていくことになります。

3.【「受け入れる」ことと、「受け入れた後のフォロー」の両輪一体】

この姿勢は、日本が現在抱える課題にも大きな示唆を与えます。近年、日本では「インバウンド」や「外国人技能実習制度」など、海外から人材や旅行者を受け入れる仕組みが急速に拡大しています。しかし、受け入れに集中しすぎ、受け入れ後の生活支援や相談体制、文化・言語の違いを埋めるフォローは、必ずしも十分とは言えません。ケンプさんが示してこられたように、”受け入れること”と”受け入れた後のフォロー”は常に一体であるべきだと思います。。その両輪が揃って初めて真の交流と共生が実現するものだと改めて感じさせられます。

4.【終わりに】

1979年にアムステルフェーン市でキャリアをスタートさせてから、2026年9月蘭日貿易連盟(DUJAT)の専務理事を退任されるに至るまで、45年以上の長きにわたり日蘭企業の架け橋であり続けたケンプさん。ケンプさんが築き上げたものは、単なるビジネスのネットワークだけではありません。そこに生きる「人」を思いやり、国境を越えた温かい人間関係を育むその姿勢こそが、多くの日本企業、そして私を含む多くの駐在員の心を掴んで放しませんでした。

1993年の出会いから30年以上、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていることは、私と妻の人生の大きな財産です。今でも夕食に招待されて、名シェフのご主人が心を込めて作っていただいた数々の料理を思い出します。

ケンプさん、これまでの長い現役生活、お疲れ様でした。そして、日蘭ビジネス界と私たちの日系社会に注いでくれた温かい情熱に、改めて心から感謝申し上げます。現役を引かれた後は、しばらく休養してください。そして、是非ご主人のフィアさんとお友達と一緒に伊豆の山の我が家にまたお越しください。妻の紀子と一緒に楽しみに待っています。

伊豆の拙宅で。友人ご夫妻と。左から二人目がケンプさん、3人目がご主人のフィアさん。右端が妻。

5.【次回の予告】

次回は、スペインで大変お世話になった弁護士のヘスス・M・デ・アルフォンソ(Jesús M. de Alfonso)さんの話をします。世界最大級の法律事務所ベーカーマッケンジー(Baker McKenzie)のバルセローナ事務所の創設者の一人で、スペイン法律界の重鎮です。私のキャリアの中で、もっとも信頼し、尊敬する 弁護士さんであり、友人でもあります。楽しみにしていてください。

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